「会社という『生き物』の心を掴む」 田平労務管理事務所
田平労務管理事務所
次長:田平 篤
〒694-0064
島根県大田市大田町大田イ 164-4
TEL:0854-82-5850
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田平さんは、市内では数少ない、社会保険労務士の仕事をしている。
社労士の仕事を簡単に言うと、「会社の中で経営資源でもある人・モノ・金・情報の中でも、“人”にあたる部分のさまざまな手続きをする仕事だ」と話す。
例えば、給与や労働保険、退職金であったり、会社を組織し、働く“人”の部分に関して、企業へのアドバイスなどを主に仕事にしている。
「小さい頃からこの仕事に憧れていたんですか?」という質問に、
「いいえ。高校を卒業したら、トラックの運転手になって暮らそうと思っていました。」とあっけらかんと返事が返ってきた。
そんな田平さんを社労士の資格を取るまで奮い立たせたものは何だったのか?
【夢はトラックの運転手 】
実家でもある事務所にいても、「息子さんは社労士の資格を持っているんですか?」とよく聞かれたそうだ。「持ってません。」いささか気まずかった。
ある日ふと、「親父が死んだら、この事務所はどうなるんだろう?」と考えた。自分が社労士の資格がないから、この事務所を継げない、ということになるのもかっこ悪いし・・・」しばらく考えた末、「自分が資格を取ればいいんだ。」まさに男のメンツとプライドをかけた単純なことがきっかけだったが、しかし、いざ勉強するとなると、決して合格ラインギリギリの6割を目指す勉強はしなかったという田平さん。10割合格を徹底的に目指し、二年間、寝る暇を惜しみながら勉強したのだという。「資格を取ったら思いっきり遊んでやろう!」と思いながら、苦学の末、見事合格。
晴れて社労士となった。
【親子の関係】
この事務所は鉱山の労務管理職員だった父の律夫さんが、社労士の資格を取り、事務所を設立した。
現在は社会の中でも注目を浴びている社労士だが、律夫さんが資格を取った当時は、存在すら知れ渡っていなかったために、「社会保険労務?何だそれ?」というような状況だったそうだ。
田舎では資格を取っても、食えない、形のないものには、お金払わない、という状況の中、それでも、この事務所を今まで立派にできたのは、父の律夫さんがいたからこそ。」と田平さん。
事務所を今の形にしてきた律夫さんのことを、「尊敬すべき存在」と語る。
一般論かもしれないが、後継者のいる会社は元気がある。次の世代に譲るまでは精一杯頑張ろう、と思うからかもしれない。
普段から親子が互いにパートナーとして、刺激し合い、励ましあいながら仕事をされているに違いない。
【負けない部分】
田平さんは他の社労士には負けない部分がある。
「私は今40歳で、世間の社労士の中でも年齢が若い、ということもあり、経験年数は少ない。でも、体力があるので、人よりも多く外に出て、“現場”をたくさん見ている。よく、机上の空論を話す人がいるけれど、いかに現場を多くこなし、事例をつくるかにかかっている。」
年数よりも、“どれだけ、自分が動いたか”それこそが、自分を証明するのだ。
「でも、現場を多く見るためには、仕事を多く取って来ないとダメですが。」と付け加えた田平さんだが、若さを長所にして、奮闘する田平さんに見習うべきことは多い。
今の企業にとって、安心した職場づくりは優先的になされているが、過労死や、自殺、セクハラなど、問題も絶えない。
「企業はどうしても、利益を先に考えてしまう生き物。社員に支えられて生きていることを忘れがち。だから、私たち社労士が出来ることは、社員それぞれがいきいきと仕事ができるように、社会保険などの社員の安全管理の方法を提案していくことなんです。」と語る。
特に、この大田地域には中小零細企業が多い。余裕がない企業にとって、社員の安全管理が後回しにされることも少なくないのだという。
青年会議所(JC)では、理事長も務めたことのある田平さん。大田市への思い入れは大きい。
【企業を変えるために】
「組織を変えるためには、まず、人を変えることです。本当にその会社を変えたいと思っているので、社長とは常に体当たりです。」
企業を変え、社会を変え、この大田地域を変えることで、もっと元気な大田地域になるよう貢献したい、と話す。
【仕事のやりがい】
「社労士のやりがいは?」の質問に、
「刻々と変わる時代の流れに付いていけるように、仕事の仕方も工夫して変えていかなければならないんです。だから常に問題意識を持っていなければいけない。大変だけど、それがやりがいですかね。」
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大田市の企業家へ突撃!インタビュー 田平労務管理事務所
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